・見ないと分からないこと
自分の成功をイメージできない人は
成功しないと言われる
スポーツではこれが顕著に現れる
まったくの夢のようなイメージも必要であるが
具体的に自分の力量を把握しながら
今の自分が最大限に力を発揮したときには
どんなふうになることができるのかについて
「想像力」を働かせれる選手は強くなる
「想像力」を鍛えるには方法がある
ひとつは強い選手の試合を「見る」こと
指導している子供と一緒に試合を見た
この子にとって「見る」必要があると
思った選手の試合
試合の後、その子は
「試合を見るのって疲れますね。
これなら試合をやっていた方がいいです。」
と言った
「わかってくれたか!」
という思い
「コーチは試合を見るだけだから疲れない」
と言われることがある
「ふざけるなあ!」
と言いたい気持ちをぐっと堪える場合も多く
「忍耐力」を発揮して
「そうだね」とニコッと笑う自分を褒めていた
実際に試合を「見る」というのは大変疲れる
特に「この試合」という思いがあるときは
感情移入の度合いも強いので
実際に試合をやったようにドッと疲れが出る
しかし、そのような試合ほど自分にとって
「想像力」を駆り立ててくれる機会になる
「どんな練習やトレーニングをすれば良いのか」
「この選手の優れたところや課題は何か」
「どのレベルにまで成長できるか」
など、頭の中に鮮明にイメージが沸いてくる
下手な練習をするよりも
脳が活性化されているので
素晴らしい効果を生むことも多い
しかし
日ごろから「想像力」を働かせていない人は
「この試合、面白かったね」
「あのショットはすごいね」
などの感想しか記憶されない
「見る」効果が十分に発揮されることもない
豊かな「想像力」を身につけたい
・感情移入型試合観戦
テニスの試合の興味を示さない人は成長しない
真剣にテレビにかじりついて試合を見てほしい
できれば、多くの試合に出かけていって
実際の試合をじっくり見てほしい
その選手のフットワークが素晴らしいとか
フォアハンドのストロークに切れがあるとか
そんな分析は必要ない
ただ、じっと見れば良い
人並み以上の好奇心を持って
試合を見続けるなら
その試合のプレーヤーに成り代わる
ひとつひとつのショットに感情が移入される
自分が経験できる以上の
最高の舞台でプレーすることができる喜びで
満ち溢れるに違いない
素晴らしい試合は壮大なドラマである
そのドラマの中の主役を
想像上でも演じることで
いつの間にか素晴らしい高みに
導いてくれることもある
このような経験に興味も好奇心もなければ
自分が参加できる試合で勝った
負けたと騒ぐしか方法がない
・イメージトレーニング
脳の中に鮮明なイメージが描けているときは、
実際に筋肉を動かしておくのは大変効果的
ボクサーがたくさんの時間をかけて
シャドーボクシングをするのは
その効果を狙っている
その時のボクサーの頭の中は
自分のパンチが相手を確実にヒットした場面が
鮮明に描かれている
テニスも同じである
しかし、それを行う機会は少ないだろう
そんな時は順番待ちで打っている選手の
後ろにいるときに小さくでも良いから
実際にスイングしてみること
「想像力」豊かであれば効果はある
いい試合を見た後は
鮮明にイメージが浮かんでいるので
その機会を逃さず練習をすれば効果がある
しかし、ちょっと時間が経つとイメージは薄れ
何が自分にとって良いと感じたか忘れてしまう
実際には、このように「忘れては思い出す」を繰り返して
段々と「自分のもの」になっていくのであるが
もし「忘れる」ことが少なければ
もっと効果が上がるだろう
試合などの後にひらめきがあったのであれば
それをノートなどに書き残しておく
文章の体裁などはどうでもよい
感じるままの殴り書きの方が望ましいだろう
きちんと整理しすぎると
時間がかかり過ぎるという問題があり
パッとひらめいたのであれば
パッとその記憶を残すようにした方が良い
何かうまくない時などがあったら
ときどきノートを開いて「みる」といい
その時に感じたひらめきやイメージが
救ってくれるかもしれない
・表面だけを見てもダメ
コーチングで一番難しいこと
「目に見えないものを感じ取る」こと
フォームの問題点を指摘することは
それほど困難ではない
しかし、そのフォームを形づくる根本的なものは
その人の「考え方」や「身体感覚」
もちろん自分とは違う
それを理解できるかどうかで
効率的な指導ができるかどうかが決まってしまう
といっても過言ではない
指導する立場の人間が
指導される立場の人間に対して
いかに「洞察」できるか
つまりは
「目に見えないものを感じ取ろうとする努力」
をするかどうかにかかっている
そのためにもっとも大切なことは
「観る」ということ
「観る」は、「見る」とは違い
「観る」は、まさに「洞察する」ということ
目で見るだけではなく
その心理状態をも
「察するように深く見る」ということ
だから私は極力試合を見に出かける
そこから見えてくることは大きい
そしてその「洞察」を指導に結びつけるための
「アイディア」を持つこと
そのためにはやはり「知識」が役に立つ
「知識」は絶対のものではないけれど
「洞察」を効果的に補完するもの
選手の理解の仕方は千差万別だが
その理解を深めるためには
多くの「知識」があることは大変有効
・声掛けのタイミング
指導とは「静観すること」も含まれる
静観とは見るだけではない
見て、チャンスを待つという意味
仮に選手が間違った動きをしていても
それが後にどういう形で技術に効いてくるのか
これは瞬時にダメだと判断できないから
何を、いつ言うのか、そのタイミングを待つ
そのタイミングとは
選手本人に潮が満ちるように
課題が見えてきたとき
選手本人が何かを聞いてきた時には、
すべてを答えてやらなくてはならない
(そうしたアドバイスのチャンスが来るまでは)
指導者として問われるべきは
私自身がいかに適切な準備をし続けているか
このような姿勢で指導に臨んでいる指導者は
そう多くはないかもしれないが
少なくともあなたの問いかけに対して
あなたが納得できる答えを
いつでも示すことができる指導者でなければ
あなたの力を引き出すことはできない
また、試合会場で
真剣に選手の試合を見続けている指導者を
選択するのもよい方法
多くの指導者は
言うことではなく
見ることこそ指導者の役目
であることを忘れている
「見る」ことは指導者として
適切な準備をし続けていることの証し
その証しを示すことができている指導者は
きっと優れた感性で選手を導いていける
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